夏の終わりに岩尾根歩き
北鎌尾根〜西穂高岳
夏も終わりになって、また上高地へやってきた。
河童橋は多くの人で賑わっていたが、梓川は相変わらず清らかで、穂高の山々は青空に突き立っていた。
第1日目(2012年8月25日)
上高地13:30 → 明神14:04 → 徳沢14:45 → 横尾山荘幕営地15:37
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、第346号)」
土曜日の午後、賑わう河童橋。
第1日目の横尾山荘幕営地。国有地なので1泊500円。
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、第346号)」
水俣乗越から、これから下ろうとする天上沢を見下ろす。
北鎌沢出合や、尾根筋にラクダのコブのような岩峰P7、その左の鞍部の北鎌沢右俣コルも見える。
北鎌沢出合から、まっすぐに突き上げている北鎌沢右俣を見上げる。
ここから尾根筋の岩峰P7(右)と天狗ノ腰掛(左)との窪地である北鎌沢右俣コルまで登って行く。
今回は目印になるケルンが基点付近に数基積まれていたが、前回はシーズンはじめで、目印になるようなものは何もなかった。
北鎌沢右俣と左俣との分岐点。ここは、右俣を登って行く。
途中で出会った人は、左俣を登ったところ、雪渓が出てきて引き返したと言っていた。
水はここで満タンにした。
右俣をしばらく登ると、行く手を塞ぐような大きな岩があり、その少し下、私の腕時計で標高2050mの、谷の底に基岩が露出しているところにも、水は流れていた。
私の腕時計で標高2300mの地点まで登ると、広い谷の真ん中にこんもりと茂った木立の島が見えてくる。
ここは石のゴロゴロしている左の小渓を登る。右の小渓を登ると、天狗ノ腰掛と岩峰P7の最低コルに行くが、危ない所らしい。
少し登るとすぐに、また二股に分かれている。ここは右の草地の踏み跡を登る。
左の石のゴロゴロしている小渓を登ると、途中で消えてしまうので、急な草地を右上に適当に登れば、右の踏み跡に合流するらしい。
前回は、シーズンはじめで、踏み跡は少なかったが、今期は明瞭な踏み跡があり、これを忠実に辿ればよい。
天狗ノ腰掛の基部でテントを張る。この他にも、北鎌沢右俣コル(最低鞍部ではない)、天狗ノ腰掛などにも、テント1張り分の空き地があり、北鎌沢右俣コル(最低鞍部ではない。)で出会った若い3人の人達は、独標の基部で泊まったと、後で聞いた。
第3日目(8月27日)
天狗ノ腰掛の基部・幕営地5:15 → 天狗ノ腰掛5:48 → 独標の基部6:33 →P11の手前の稜線7:22 → 北鎌平の先の稜線9:30 → 槍ヶ岳11:05 →
槍ヶ岳山荘12:00 槍ヶ岳 → 南岳小屋幕営地14:45
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、第346号)」
目が覚めると、テントの外がほの明るい。急いで起きて、軽量化のためバーナーは持ってきていないので、チキンラーメンとスープの素に水を入れ、他のものを片づける。30分もすれば柔らかくなるはずだが、そんな時間はなく、バリバリと水入りラーメンを食べ、粉のようなスープを飲む。何とか5時15分に出発できた。
天狗ノ腰掛への登りは、朝一番にしては意外に手強い。朝露に濡れながら登ると、P8(天狗ノ腰掛)やP9がすぐ近くに見える。一番左の高い岩峰は独標(P10)で、ここは直登せず、右側をトラバースする。
この独標の中腹をトラバースしていく。
独標の基部まで行くと、ロープが掛かっている。
ここから飛騨側(右側)へトラバースしていく。
トラバースの中間あたりに、オーバーハングした岩場や、写真のような岩場が出てくるが、ホールドやスタンスもしっかりしているので、慎重に渡ればよい。
トラバースの中程を過ぎると、斜め上に、岩の割れ目にスリングが掛かっているところが見えてくる。
スリングが掛かっている岩の割れ目。
前回は簡単に登れたが、既存のスリングは何となく信用がおけないので、今回は1〜2度スタンスやホールドを確かめ直した。
割れ目にスリングの掛かっているとろを登り、少し右に行くと、この1番目の「下の見えない岩場」がある。
下が見えないと不安になるが、今回は下りられることが分かっていたので、すんなりと降りられた。
1番目の「下の見えない岩場」を下りると、尾根筋のP11と穴の空いている(槍の左隣の)岩峰を目指して斜上していく。
しばらく行くと、この2番目の「下の見えない岩場」が出てくる。
2番目の「下の見えない岩場」を下りたら、尾根に向かって登って行く。
尾根に上がり、前方を見る。
分かりにくいが、尾根の続きで、写真で言うと真ん中付近にある岩峰がP11(左)で、その右が穴の空いた岩峰です。
p11からは、穴の空いた岩峰との間の、このザレ場を飛騨側(右側)に下る。
下る途中で、前に見えている
岩峰P12は、飛騨側を巻いていく。
途中でリックが残されていた。事故にでも遭われたのだろうか。
そう言えば、昨日出会った、千天出合の方から登ってこられた3人の若い人達が、P7をロープを使って下りたところ、鞍部で冬山用のリックを見つけ、調べたが何も手がかりになるものが見つからず、警察に届けるため写真だけは撮ってきたと言っていた。
P14の白い岩が見えてきた。
P14の1段目の、この白い岩を登る。見た目以上にスタンスもホールドもしっかりしているので、登りやすい。
前回は、この岩を登ったところから、右に巻いた。
白い岩を登ったところで、明瞭な踏み跡がまっすぐに登っていた。
どうしようかと迷ったが、前回トラバースルートを歩いたので、今回は尾根ルートを歩きたいと考えていたこともあり、ここをまっすぐに登って行った。
後で、3人の若い人達に追いつき、聞いたところ、ここをまっすぐに登り、飛騨側は絶壁で回り込めず信州側を巻いたところ、、えらい難儀したと言っていた。
私も、踏み跡も少なく、怪しいなと思ったが、小さな岩峰を回り込むだけだから、何とかなるだろうと思い、この写真のような通れそうなところを選んで、信州側を巻いていく。僅かな踏み跡は途中で上に登っていたが、私はさらに回り込んで、オーバーハングした岩棚のような所は這って通り、尾根に辿り着いた。
いろんなHPにもあるとおり、巻くときは飛騨側がいいようだ。
はじめは、信州側を巻いて尾根に出たところから、尾根伝いに登るつもりだったが、さっき初めての所へ行きヤバかったので、安全を期して、前回と同様に飛騨側を大きく巻くことにした。
すると、すぐに、この3番目の「下の見えない岩場」が出てくる。
このような岩場を下るとき、必要となれば、既存のハーケンなどを利用しようと、スリングを2本用意していたが、使うようなことはなかった。
このあたりからガスってきて、トラバースルートの全容が確認しにくい。
慎重に踏み跡を辿り、若い3人組に追いつく。
飛騨側を大きく巻き、槍ヶ岳の真下くらいまで来たら、ガレ場をまっすぐ登ると、この北鎌平の下に着く。
ここも直登せず、右を巻く。
北鎌平を巻くと、槍の基部に着く。
ここからは左側の尾根に向かって、高いところ高い所へと登っていく。
左上に、カニのハサミのような岩が見えてくるので、これを目印に、その横を通って登っていけばよい。
このすぐ上にある第1のチムニーと、第2のチムニーを登れば、北鎌尾根はおしまい。
若い3人組は、第1のチムニーをロープを出し楽しみながら登っていたが、私は右側を回り込んで登る。
すると、すぐに第2のチムニーが出てくる。
若い人達は、2番目のチムニーから山頂まで、一気にロープを掛けて登っていたが、私は途中から杭のある方へ回り込み山頂へ登った。
この2番目の岩場は、取りかかりのスタンスがなく腕に力を入れて登ったところだが、今回は岩の割れ目に、足場にちょうどよい岩が挟み込まれていて、難なく登れた。
下がっていたスリングもなくなっており、関係者の方が、補修してくれたのかもしれない。
なお、人物については、差し障りがあるかもしれないので、ボカした。見にくいですがお許しください。
ロープをはじめ本格的な登はん用具など、各自20数キロの荷物を背負い、楽しそうに登っておられた3人と、登頂を祝い山頂で握手。若い人は爽やかでいいですね。
この後、下に見えている槍ヶ岳山荘でカレーを食べ、先に伸びている尾根を辿り、先端の南岳までブラブラと下っていった。
今日の宿泊地、南岳小屋幕営地が見えてきた。
前回は小屋泊まりや狭いテントで睡眠不足になり頭が痛かったが、今回は一人テントで快調である。
第4日目(20120年8月28日)
南岳小屋幕営地6:20 → 北穂高岳の基部7:45 → 北穂高小屋のテラス8:55 → 穂高岳山荘幕営地
12:05
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、第346号)」
今日は総計6時間のコース。ゆっくりペースで出発する。
いつものキレット。
北穂高岳を見上げる。
左下の人のいるところが、痩せ尾根の長谷川ピーク。
飛騨泣きなどの岩場を登り、北穂高小屋のテラスで、槍を見ながらのいつもの大休止。
日本アルプスの中でも、ここで飲むコーヒーはいいですね。
ゆっくりしてから涸沢岳を目指していく。
涸沢岳の下りから、奧穂高岳と穂高岳山荘を見る。
昼に穂高岳山荘に着く。
テントを張ってから、ラーメンを食べる。
今回は、ヤバイところなので、荷物を軽くするため、行動食と小屋のない北鎌尾根以外では、小屋食を利用した。
第5日目(8月29日)
穂高岳山荘幕営地5:15 → 奧穂高岳6:00 → 天狗ノコル7:58 → 西穂高岳の一つ手前のピーク
10:23 → 西穂高山荘幕営地12:38
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、第346号)」
新しく買ったデジカメで、朝焼けの写真を撮ろうとしたところ、電池が切れていた。説明書では330枚取れることになっていたのに、半分でアウト。説明書と実際の撮影条件が違ったのだろう。
コース状況等は、ほとんど変わっていないので、興味のある方は、2007年の「穂高連峰を歩く」をご覧ください。
岩峰のピークで休んでいるとき、同年配の2人と知り合い、いろいろと話すうちに、ここに来るのはもう最後かななどと、すこし寂しげに話しておられたのを聞いて、そういう私も、もう来ることはないだろうから、「夏の終わりに岩尾根歩き」ではなく、「人生の終わりに岩尾根歩き」だな などと思ったりした。
第6日目(2012年8月30日)
西穂高山荘幕営地5:58 → 焼岳小屋8:46 → 焼岳北峰10:20 → 中の湯温泉12:40
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用した。(承認番号 平24情使、第346号)」
トリカブト
あちこちに咲いていた。
これも多く咲いていたトウヤクリンドウ。
なお、花の名前はM氏に教えてもらいました。
夜半まで雨が降っていたためだろう、枝葉からの水滴が笹に当たってポタンポタンと響く以外、何も聞こえない、ガスに煙ったシラビソの林の中を歩いていると、昨日までの闘争心が、解き放たれてくる。
焼岳小屋までの道は、割谷山を巻くあたりは悪いが、それ以外は笹も刈り払われていた。
また、焼岳からの下りで、下掘出合から釜トンネルの入口にある中の湯バス停までの道は、5年前に下ったときも、道が谷川になり、ずいぶんと荒れてきているなと感じたが、廃道になっていた。
完
は じ め に
1 北鎌尾根については、前回と同様に、トラバースルートを歩いたものです。
2 前回のルートを補足するもので、詳細は、2009年の「冥土のみやげ北鎌尾根」をご覧ください。
3 岩峰につけたP7〜P15などの符号は、固有のピーク名を示すものではなく、このHPを見やすくするため
に付けたものです。
4 奧穂高岳から焼岳は、電池切れで写真が撮れませんでした。興味のある方は、2007年の「穂高連峰を
歩く」を見てください。