北アルプス縦走 ・ 親不知からの15日間
                2008年7月25日〜8月8日

北アルプスは、立山連峰などは歩いたが、槍ヶ岳をはじめとする穂高岳以北は、これまでまったく歩
いたことはなかった。
南アルプス全山縦走を終えたときから、次の目標として、白馬岳から穂高岳への、このロングコース
を歩いてみたいと考えてきた。
昨年は、都合で行けず、2008年の梅雨明けに、やっと15日間のスタートがきれた。

                行           程 日本百名山
 第 1 日目  親不知 → 坂田峠
 第 2 日目  坂田峠 → 白鳥山 → 犬ヶ岳 → 長栂山への尾根(ビバーク)
 第 3 日目  長栂山尾根 → 雪倉岳 → 白馬岳馬ノ背手前 → 雪倉岳避難小屋
 第 4 日目  沈殿
 第 5 日目  雪倉岳避難小屋 → 白馬岳 → 鑓ヶ岳 → 天狗山荘テント場 白馬岳
 第 6 日目  天狗山荘テント場 → 不帰嶮 → 唐松岳 → 五竜山荘テント場
 第 7 日目  五竜山荘テント場 → 五竜岳 → 鹿島槍ヶ岳 → 冷池山荘テント場 五竜岳
鹿島槍ヶ岳
 第 8 日目  冷池山荘テント場 → 爺ヶ岳 → 針ノ木岳 → 針ノ木小屋テント場
 第 9 日目  針ノ木小屋テント場 → 蓮華岳 → 七倉岳 → 船窪小屋テント場
 第10日目  船窪小屋テント場 → 不動岳 → 烏帽子岳 → 烏帽子小屋テント場
 第11日目  烏帽子小屋テント場 → 水晶岳 → 鷲羽岳 → 三俣山荘テント場  水晶岳
 鷲羽岳
 第12日目  三俣山荘テント場 → 双六岳 → 槍ヶ岳 → 南岳小屋テント場  槍ヶ岳
 第13日目  南岳小屋テント場 → 北穂高岳 → 奥穂高岳 → 横尾テント場  穂高岳
 第14日目  横尾テント場 → 蝶ヶ岳 → 常念岳 → 常念小屋テント場  常念岳
 第15日目  常念小屋テント場 → 大天井岳 → 燕岳 → 中房温泉

「この地図の作成に当っては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号平19総使、第371号)」

JR親不知駅から栂海新道入口までは、国道に
歩道がなく危険なため、頼んでおいたタクシーを
利用する。
リックを登山口に置き、いったん海岸に降りる。

海岸線は、岩壁がそのまま海に落ち込んでいる。
親不知は、「その昔、北陸道最大の難所で海、伝い
に亘った。」とあるが、海際は、歩けそうもないので、
この辺りは高巻きをしたのだろうか。

国道脇に栂海新道登山口がある。
初日は水場がないので、水を満タンにし、ここから
15日間の縦走がはじまる。

初めのうちは、杉檜林の中を登り、尾根筋に出てか
らは、このような広葉樹林の中を登っていく。
午前中、雨が降ったらしく、少し靄がかかっている。
直射日光が差さないので、暑さはあまり感じないが、
とにかくやたらと汗が出る。
ズボンから滴り落ちた汗で、靴下まで濡れてしまった。

5時過ぎに坂田峠に着く。時刻も遅く、あまり車の通
るような雰囲気ではなかったので、林道の隅にテン
トを張らしてもらう。
昔、海岸の道が通れないときは、海の方から、一本
杉峠(場所は未確認)、通ってきた二本松峠、それに
この坂田峠が回避道となっていたと案内板に書かれ
ていた。
犬ヶ岳や朝日岳へは、標識のある右側の金属梯子を
登っていく。
なお、クマ出没の看板は、少し古いもので、この天
候の中、3グループに出会うほどのコースなので、
心配はいらないのではないか。

 第2日目
 坂田峠4:29→白鳥山7:11→栂海山荘11:29→犬ヶ岳11:49→黒岩山14:33→長栂山への尾根

白鳥山から、菊の形をしたアンモナイトが出土するという
菊石山や黄蓮山など1200〜1300m級の山々を越え、
もう一登りすると栂海山荘に着く。
ガスが薄くかかっているのと、標高が少し上がったため
昨日ほど汗は出ない。

坂田峠から急な金時坂を登り切るとシキ割の水場が
あり、チョロチョロと流れていた。
もう一登りした白鳥山山頂に、この白鳥小屋が建っ
ている。

白鳥山から行く手を眺める。
左手の木立の間にわずかに見えるのが犬ヶ岳で、真
ん中に見えるのは初雪山だろう。

山荘の前を右手に折れて、少し登ると標高1593m
の犬ヶ岳に着く。

犬ヶ岳から眺めると、黒岩岳までは、小ピークが
連続している。
左から2番目の山はサワガニ山で、黒岩岳は
ガスのなかで確認できなかった。

犬ヶ岳から下った所にある、北俣ノ水場。冷たく
て美味しかった。

第3日目
 長栂山の尾根4:33→アヤメ平5:31→朝日岳7:41→雪倉岳11:41→雪倉岳避難小屋12:21→
 三国境から少し登った所で雷待避14:10〜14:50→馬ノ背の手前の尾根で被雷者と遭遇し待避
 15:00〜17:00→雪倉岳避難小屋19:10  

昨日、行く手を遮った雪渓は、ガスが少し晴れ前方が確認できたので、左の尾根に沿って登り切った。
樹林を歩く内に、ガスに覆われた朝日岳の山容が、ぼんやりと見えてきた。

アヤメ平には、道の両側にアヤメなどの花々が
咲いていた。

照葉ノ池付近には、ニッコウキスゲが黄色い花
を咲かせていた。
今年は、雪渓が多いと聞いていたので、一斉
に花を咲かせたのかもしれない。

朝日岳は、ガスで何も見えず。下りはじめるとガス
が晴れ、今から登ろうとする雪倉岳が見えた。

雪倉岳山頂は、朝日岳から意外に時間がかかり、
12時前に着く。
山頂から今日の最終目的地である白馬岳(中央左)
を眺める。西の方に黒い雲の出てきているのが気
になるが、気合いを入れ直し出発する。

鉱山道分岐点付近から白馬岳(一番右)を見上げる。この後、雨がパラつきはじめたので、雨具を着る。三国境の少し上で雷がひどく鳴りだしたので、リックを尾根に残し、少し離れた窪地に屈んで待つ。
雷雨なので30分もすれば上がるだろうと思い、時計を見ると2時14分だった。
それから20分も経ったのだろうか、突然、バリっという轟と同時に、真っ白い太い一本の火柱が、少し上の尾根に立つ。
風雨が小止みになったので少し登ると、馬ノ背の手前で、4名の被雷者に出会う。救助は白馬山荘へ行く同行者に頼んだらしい。
再び風雨が強まってくる。麻痺していた体が動くようになり、岩陰に移動しテントを被って救助を待つ。
夕方近く、雨が小止みになったので、白馬山荘を目指し登ろうとするが、強風で進めず。この場で、ビバークすることは、寒く身の危険を感じたので、「明るい内に、下りならなんとかなるので、雪倉岳避難小屋まで下ろう。」ということになった。
日の暮れ前に、ガスが一時的に晴れ、ヘリが捜索に来てくれるが、小屋の手前まで来ていたので我々発見されず。日没直後、小屋に着く。


 第4日目 
 風雨強く、雪倉岳避難小屋で待避する。富山県に強風、大雨、雷警報が出ていたことを知る。
 

 第5日目 白馬岳
 雪倉岳避難小屋5:35→三国境でK夫妻を見送る7:15→白馬岳8:05→白馬山荘8:34→
 杓子岳 10:23→白馬白馬鑓ヶ岳11:21→天狗山荘テント場12:09

小屋には、被雷された4名と私、それから風雨を避けていたNK夫妻がおられ、物心ともにお世話になる。
その方に、「なぜ15日間も歩かれるのですか。」と問われ、「登っていない山があるから。」と答えたもの
の、そのことが縦走中、ずっと気になった。
15時半頃、長野県警山岳救助隊が、捜索に来てくれる。N夫妻は、県警とグループ員の待つ白馬山荘へ
向かう。

三国境で、元気に蓮華温泉へ下られる被雷された
K夫妻を見送る。
馬ノ背の被雷現場を通り登っていくと、白馬岳山
頂がガスの中から顔を出した。

山頂は、ガスで展望はない。下り始めると直ぐに、
白馬山荘が見えてきた。
訪ねたところ、N夫妻は、「被雷したときは、破壊さ
れた体の細片が、血管に詰まる恐れがあるので、動
かない方がよい。」との医師の指示で、ヘリを待って
おられた。
そして、クラシック音楽の流れる山荘のレストランで
、コーヒーをいただきながら、N夫妻と無事を喜びあった。
Nさんによると、県警は救助を求めた場所を動かな
いようにと言っていたこと、それに、小屋に救助を求
めた場合は、いったん県警に連絡し、その指示を待っ
て小屋は救助にあたるので、今回の場合は、それで
2時間経ったとう話だった。

杓子岳が近づいた。ガスで展望がないため、山
頂には登らず、この辺りをトラバースして白馬槍ヶ
岳に向かう。

白馬槍ヶ岳には,せっかく来たのだからと登った
が、強風のうえ、ガスっていて何も見えず。

天狗岳山荘下のテント場に12頃着く。風が強いので
、小屋のすぐ脇の窪地を選びテントを張る。
強風に煽られ、テントが動き回りなかなか設置でき
なかった。


 第6日目
 天狗山荘テント場4:30→不帰キレット6:07→唐松岳8:36→唐松岳頂上山荘9:05→
 五竜山荘テント場 11:23
 

入山6日目にして初めて夏山らしい晴天になった。
早朝、雲海を見下ろしながら尾根を一人歩いている
と、しみじみとした喜びを感じる。

天狗ノ頭から、唐松岳、五
竜岳、鹿島槍ヶ岳を眺める。
遙か遠くに、これから辿ろ
うとする槍ヶ岳や穂高岳も
見える。

天狗ノ大下りから、不帰嶮(かえらずのけん)を見
下ろす。
(左から)一峰、二峰、三峰と続き、一番右奥に唐
松岳が控えている。

不帰キレットの核心部、一峰から二峰の登りを見る。
右が三峰で、一番右に隠れているのが唐松岳である。
雲海を見下ろしながらの尾根歩きも気持がいいが、晴れた日の岩場は、緊張感があっておもしろい。

三峰から唐松岳を見上げる。岩場も、この唐松岳の登りで終わりとなる。
私の地図では、天狗ノ大下りから唐松岳までは、奥穂高岳から西穂高岳までと同様に、点線となっているが、後者に比べてやさしく、一般ルートと同じ実線でもよいくらいだ。
これで、雨降りや、まして雪でも付けば、まったく別物になるので、やむを得ないことかもしれない。

唐松岳の下りから、りっぱな唐松岳頂上山荘を見る。

堂々とした五竜岳が、迫ってきた。
左のコブ尾根と五竜岳の鞍部に、五竜山荘が建っている。

鞍部に建つ五竜山荘。山荘の上に見えるテント場に昼前に着く。
午後からは、衣料品や靴など湿っているものを全部を広げて天日干しした。

 第7日目 五竜岳・鹿島槍ヶ岳
 五竜山荘テント場4:07→五竜岳5:09→キレット小屋8:43→鹿島槍ヶ岳北峰10:15→南峰10:58
 →冷池山荘テント場12:56

朝日があたる五竜岳山頂。

五竜岳から鹿島槍ヶ岳を眺める。

ガレ場を下り、G4あたりから五竜岳を振り返る。

美しい双耳峰の鹿島槍ヶ
岳が近づいてきた。

岩峰を回り込むと美しい外観のキレット小屋が見えてきた。
小屋前のベンチで小休止する。いつも無料で休ませていただいているので、時間に余裕があれば、コーヒーでもいただいて売り上げに協力するのだが、先を急ぐ。
登山案内書によく掲載されている岩場が、この先にあるが、ホールドもスタンスもしっかりしているので、見た目ほどでもない。この岩壁をよじ登り、鹿島槍ヶ岳を目指す。

せっかく来たのだからと、リックを置いて鹿島槍ヶ岳北峰をピストンするが、何も見えず。
標高2889mの南峰には、11時に着くが、ここも展望なし。

雷の時間までには山頂を越えたので、あとはトロトロと砂利の尾根道を下り、1時前に冷池山荘テント場に着く。
小屋は、テント場から10分ほど下った樹林の中にあった。

 第8日目
 冷池山荘テント場3:57→爺ヶ岳中峰5:31→種池山荘6:29→岩小屋沢岳8:13→新越山荘8:54→
 赤沢岳10:46→ヤマクボノコル12:03→針ノ木岳13:30→針ノ木小屋テント場14:20

「この地図の作成に当っては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号平19総使、第371号)」

「この地図の作成に当っては、国土地理院長の承認
を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及
び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものであ
る。(承認番号平19総使、第371号)」

 第1日目
 親不知13:38→入道山14:58→二本松峠15:21→林道15:43→高尻山16:29→坂田峠17:04

今日は距離が長いので、早めにヘットライトを点けて出発する。爺ヶ岳は、ガスっていて展望なし。
砂礫の尾根道を下ると、赤い屋根の種池山荘が見えてきた。この間に、小屋泊まりの人達であろう数グループの人達と出会った。

ガスが晴れて、振り向くと双耳峰が美しい鹿島槍ヶ岳が望まれた。
この写真は、少しズームアップしている。

種池山荘から岩小屋沢岳(中央)、針ノ木岳(一番奥)、蓮華岳(左端)を眺める。
今日は、針木岳と蓮華岳の鞍部まで行く。 

岩小屋沢岳から、鳴沢岳(中央右)と赤沢岳(中央左)、針ノ木岳(左)を望む。

赤沢岳は、眼下に黒部湖を見下ろす展望が素晴らしい所だ。
その赤沢岳から下り、針ノ木岳が近づいてきた。
最低鞍部であるヤマクボノコル付近から、針ノ木岳を見上げる。
真ん中に見える丸い山頂ではなく、左端が針ノ木岳山頂である。

13時半に針ノ木岳に着く。午後の時間帯になるといつも雷が心配になるが、ここまで来れば、後は下るだけなので、一安心である。
背後の山は、立山だろう。

2時過ぎにテント場に着く。樹林に囲まれたそのテント場を、針ノ木小屋から見下ろす。

 第9日目
 針ノ木小屋テント場4:44→蓮華岳6:00→北葛岳8:48→七倉岳10:25→船窪小屋10:40〜11:10
 →船窪小屋テント場11:24

北アルプスは、テント場が限られていて、烏帽子小屋テント場まで行くことも考えたが、行程が13時間45分であり、無理をしないことにした。
よって、今日はのんびり行程で、コマクサや山々を眺めながら、蓮華岳を目指す。

蓮華岳から、蓮華ノ大下りと、北葛乗越を経た北葛岳、それに続く七倉岳を眺める。
七倉岳と斜面が崩壊している不動岳の鞍部に、今日の宿泊地である船窪小屋テント場がある。
分かりにくいが、不動岳の右後ろが南沢岳で、左に烏帽子岳が続き、その後は、野口五郎岳や水晶岳だろう。
一番遠方の中央の尖っているのが槍ヶ岳で、その左が奥穂高岳で、左の尖っているのが前穂高岳だ。

蓮華の大下りから北葛岳を見る。

北葛岳の下りから、七倉岳を見る。船窪小屋は、平たい尾根の左端に建っている。
七倉岳からいったん下り、登り返した所が右端の船窪岳第2ピークで、崩壊地のある不動岳、烏帽子岳へと続く。

ランプの小屋として人気のあるらしい船窪小屋が見えてきた。途中から一緒に歩いてきた地元の山関係の人が、小屋の人は親切でいいところだから泊りにきたと言っておられた。 
天気も良いし、今日は暇なので、小屋のベンチに座り、その方と雑談しながら、コーヒーをいただいた。 

小屋から船窪乗越の方に下るとテント場がある。
あるHPに、「ここの水場は遠くて危険、二度と行きたくない。」と書かれていたが、5分くらいで行け、崩壊地の中にあるが梯子も付いているので、危なくない。
水場に行き、水を汲んでから、頭を洗い、シャツやズボンも洗濯した。
この後、土曜日でもあり、テント場はほぼ満杯になった。

 第10日目
 船窪小屋テント場4:29→船窪第2ピーク6:29→不動岳8:49→南沢岳10:20→烏帽子岳11:30→
 12:18烏帽子小屋テント場  

「この地図の作成に当っては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号平19総使、第371号)」

針ノ木小屋テント場で、このコースは余り整備されていないと聞いていたので、気合いを入れて出発する。
船窪乗越を過ぎ、船窪岳第2ピークを見上げる。普通の山に見えるが、丸太の梯子やワイヤーが連続していて、なかなか手強い登りである。

船窪岳第2ピークから、これから登ろうとする不動岳を見る。次ぎに目指す赤沢岳が、その右に見える。
ここからは、崩落地の脇を通って登る。

不動岳から南沢岳を望む。
背後の山脈は立山連峰である。
ここからは、ハイマツと花崗岩の風化した白い砂利道で、のんびりと歩ける。

南沢岳から烏帽子岳を見る。水色に見える所が、四十八池である。

分岐点から烏帽子岳を見上げる。近づくと烏帽子岳は花崗岩が積み上がったような山だった。

味わいのある烏帽子小屋に、昼過ぎに着く。
船窪小屋からこの烏帽子小屋までの区間は、今回の縦走で、一番気に入り、皆様にお勧めします。
前半は、丸太の梯子とワイヤーのガレ場が続き、後半は花崗岩の白い砂礫とハイマツの気持のよい山々からなり、なにより、あのにぎやかな叔母様達がいないのがよい。単独行者2名出会っただけだった。
また、両小屋とも、昔ながらの山小屋で、寛つろげるような気がした。 

小屋から少し南に行ったところにテント場がある。
明日は、見えている三ッ岳をまず登っていく。

 第11日目 水晶岳(黒岳)・鷲羽岳
 烏帽子小屋テント場3:22→三ッ岳4:50→野口五郎小屋6:00→水晶小屋8:36→水晶岳(黒岳)
 9:04→ 水晶小屋9:26→鷲羽岳10:54→三俣山荘テント場11:45

今日の天気予報は、「曇、夕方は雨。」となっていたので、早めに雨具を着て出発する。
ガスと霧雨の中、ヘットライトに照らされた道を外さないように注意して進む。
三ッ岳でようやく明るくなるが、視界はなし。
野口五郎岳への尾根に、白いハクサンイチゲが風に揺れて咲いていた。

野口五郎岳もガスと雨。とにかく歩くしかなく、天気さえ良ければ快適な所だろうと思いながら、歩き続け、水晶小屋に着く。
小屋の陰で風雨を避けながら一休みし、それからリックを置き、水晶岳(黒岳)へ向かう。
小屋の前に置かれたリックは、水晶岳へピストンに向かった登山者のものだろう。この悪天候のなか、途中で数グループに出会った。

頂上に9時過ぎ着く。何も見えないので、写真だ
け撮って直ぐに引き返す。

風雨が強まるなか、鷲羽岳を目指して登る。ガス
の中、ぼんやりと見えている所が山頂だろう。

鷲羽岳に11時前に着く。風雨が強く、休む気にも
なれないので、すぐに下る。

山頂からガレ尾根を1時間ほど下ると、三俣山荘テント場に着く。
雨の中、テントを張り、とにかく中に入って、一休みする。
2時間も過ぎたのだろうか、意外なことに雨が上がり晴れてきて、下ってきた、鷲羽岳もよく見える。
濡れたものを干せたのはありがたかった。

テント場から明日登る三俣蓮華岳を見上げる。

 第12日目 槍ヶ岳
 三俣山荘テント場4:06→三俣蓮華岳5:05→双六岳6:07→双六小屋6:25→千丈沢乗越10:12
 →槍ヶ岳山荘11:20→槍ヶ岳11:40→南岳13:50→南岳小屋テント場14:02

「この地図の作成に当っては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号平19総使、第371号)」

今日も快晴とはいかないので、早めに出発する。
三俣蓮華岳に登り、少し行くと長野・富山・岐阜の三県境があった。
白馬岳の手前にある三国境は、新潟・長野・富山の三県境であった。

丸い尾根と尖った槍ヶ岳の対照ががおもしろい双六岳からの槍ヶ岳は、一昨年に続き今回も眺められなかった。
双六岳から下ると、鞍部に双六小屋がある。水を補給し、トイレも借りる。

長い西鎌尾根を登ったり下ったりしていると、ガスが一瞬晴れ、槍ヶ岳が顔を出した。

千丈乗越に着く。
ここから槍ヶ岳への本格的な登りが始る。

急なガレ場を九十九折りに登り、尾根を回り込むと、目の前に槍の岩峰が現れた。
 

槍ヶ岳山荘のテラスにリックを置き、槍ヶ岳をピストンする。
ここが最後の梯子で、見えている所が頂上であった。さすがに人が多く、登りと下りの梯子が分かれている。 

小屋に、戻ってくると、まだ昼前であり、雷が心配だが、予定を変更して、南岳小屋テント場まで行くことにする。
槍ヶ岳山荘のテント場から、これから辿ろうとする大喰岳が目の前に見える。

大喰岳を登り越し、中岳を下ったところにある水場で冷たい水を飲み、補給する。
それから、なだらかな尾根をダラダラ登り、南岳を越えると、すぐ下に南岳小屋が見えた。
槍周辺は、人でごった返していたのに、ここは静かで、小屋もこぢんまりとしているが、新しく、なかなかいいところだ。

 第13日目 穂高岳
 南岳小屋テント場5:37→A沢コル7:16→北穂高小屋8:23→涸沢岳10:20→奥穂高岳11:13
 →涸沢ヒュッテ13:30→横尾テント場16:05

夜半、トイレに起きると霧雨が降っていたので、雨のキレットは明るくなってからと考え、出発を5時半に設定した。
雨具を着て外にでると、ガスが晴れているではないか。
雨具を脱ぎ、急いでテントを片付け出発する。
南岳小屋の下りからキレットを見る。正面の山は、左から北穂高岳、ドーム、奥穂高岳、涸沢岳だろう。 

両側が切れ落ちた高度感のある長谷川ピークを登り、A沢コルからそそり立つ北穂高岳を見上げる。
最初は正面の岩壁をまっすぐに登り、小岩峰を右に巻く。、それから左にトラバース気味に登っていく。

○印に沿って、左にトラバース気味に登り、最後は、頂上に見える北穂高小屋へ向かってまっすぐに登る。

北穂高岳山頂。ここから少し下ったところに、涸沢岳への分岐点がある。

ドームを登り、涸沢岳に向かう。

涸沢岳への登りは、岩場が続く。
矢印に沿って登ると、ガスで霞んでいる山頂に着く。


涸沢岳からは、普通の登山道になる。
鞍部に建つ奥穂高岳山荘と奥穂高岳を見る。

奥穂高山頂。ガスっていたが、山荘にリックを置き空身でピストンする。
今日の山場はすでに終わってしまったので、長いザイテングラードをトロトロと下り、涸沢ヒュッテで、一休みする。

横尾の手前で、夕立がきて、雨具を着てながらテントを建てる。
幸いにすぐに止んだ。

 第14日目 常念岳
 横尾テント場4:25→蝶ヶ岳への分岐点7:38→蝶ヶ岳8:03→分岐点8:24→2512mの小ピーク
 10:21 →常念岳11:59→常念小屋13:10

横尾から標高差1000mの樹林帯の中の道を3時間13分かけて登り、やっと蝶ヶ岳への分岐点のある尾根に辿り着いた。

分岐点にリックを置き、先に見える平たい蝶ヶ岳をピストンする。

蝶ヶ岳から蝶ヶ岳ヒュッテを振り返る。右が常念岳
で、中央やや左が大天井岳だろう。

2513mの小ピークから常念岳を見上げる。

12時に山頂に着く。ここまで来れば、後は常念
小屋まで下るだけだ。

ガラガラとした岩塊の尾根を下り、常念小屋
テント場に1時過ぎ着く。

テント場から、明日登っていく横通岳を見上げる。
変なものを食べたので、体に力がはいらない。
明日は晴とのことなので、早く寝た。

 第15日目
 常念小屋テント場4:21→東天井岳6:10→大天荘7:07〜7:25(大天井岳をピストン)→燕山荘10:07
 〜10:57(燕岳ピストン)→合戦小屋12:12→中房温泉14:10

早朝、花崗岩の風化した尾根道を一人歩いていると、ほんとうに気持がよい。
横通岳を過ぎると東天井岳が見えてくる。

昨日から西を向けば、槍と穂高がくっきりと望まれ、いくら見ていても飽きない。

大天井岳とその右肩に建つ大天荘が見えてきた。

大天井岳から、遙か遠方に小さく尖った白馬岳が見えた。そこから、歩いてきた峰々を目で辿っていった。
そして、これから歩いていく、足下から続く尾根の先に燕岳を確かめ、名残惜しいが、頂上を後にする。

燕山荘にリックを置き、見えている燕岳をピストンする。
それから、山荘に戻りコーヒーをいただきながら、いろいろあったが、15日間の無事を感謝し、昔、冬山の帰りに入れていただいた中房温泉へ下った。

黒岩山は尾根の一部のような所で、標識がないと見
落しそうだ。
ここに来るまでに、すれ違ったグループから、宿泊
を予定していた黒岩平は、幕営禁止と聞く。次の朝
日小屋テント場まで5時間40分かかるが、行くしかない。
黒岩平で水を補給し、長栂山の登りにかかる。一つ
目の雪渓は谷に落ち込まないよう迂回して通過。二
つ目の雪渓で、ガスでルートが見えず、見当を付け
て登るが、見つからない。リックを置いて探す内に、
時間をだいぶロスする。三つ目の雪渓に、行き当たり、
16時にもなっているので、朝日小屋まで行くことは
無理と判断し、雪渓の下でビバークする。
栂海新道の資料もいろいろ集めて計画したのに、
精査が足りなかった。

針ノ木岳の下りに、シナノキンバイ(と Sさんに教えてもらった。)が、咲いていた。

日本百名山一覧表

日本アルプス等一覧表

北アルプス縦走の表紙へ

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 失敗談

  3日前の夕食に、今は生産されていないが、以前よく利用していた賞味期間が過ぎた乾燥食品を食べた
 ところ、夜半に胃の周りが熱くなり何か変だなと感じたが、胃腸も弱ってきているのだろうぐらいに考え、そ
 の まま寝てしまった。
  2日前の夕食に、賞味期間を過ぎた別の同食品を、二〜三口食べたところ、胃の周りが熱くなり冷や汗も
 出てきた。
  1日前の夕食に、それならばと、4日前まで食べていた、嵩張るため包装から出しすり鉢で粉状にしたフリ
 ーズドライ食品を食べたところ、同様の症状が出た。
  使い残し品も混じっていたので賞味期限が過ぎていたかもしれないし、包装から出しナイロン袋に入れ
 ていたので、日数が経ち変質したのかもしれない。
  今回の縦走は、食糧の質量とも不足していた。フリーズドライ食品の種類が少ないにしても、もう少し考え
 ないといけない。もともと痩せ形だが、帰宅すると妻が「骨ばかり。」と言った。

「この地図の作成に当っては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号平19総使、第371号)」

「この地図の作成に当っては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号平19総使、第371号)」

 雪倉岳避難後屋で待避しているとき、NKさんから「なぜ15日間も歩かれるのですか。」と言われ、「まだ登っ
ていない山があるから。」と答えたところ、「それだけのことですか。」と言われたことが妙に気になり、縦走中
に、自問を繰り返していた。
 定年退職してから、これまでに中央アルプス、八ヶ岳、立山連峰、南アルプス全山縦走などをし、今回のこの
ロングコースを歩けば、日本アルプスの脊稜を歩いたことになるという一応の目的はある。
 しかし、「なぜ、15日間か。」と問われると、いろんな答が浮かんでは消え、一言で言える答が出てこない。
 そのうち、「なぜ山に登るのか。」と同質の問であるからということに気づいた。山岳部出身なものだから、
「限界への挑戦」とか「青春時代の夢の続き」などの言葉が浮かぶが、いまだ明確な答は出てこない。
 みなさんは、なぜ山に登られるのですか。

◎は宿泊場所で、赤線は徒行ルートを示す。

余談・最近の登山者を思う

その1
  常念岳への登りで、若夫婦が、「夕方までに着ければいいわね。」と、幼稚園ぐらいの子供に話しなが
 ら下ってくる。次の蝶ヶ岳ヒュッテまでのコースタイムは3時間40分なので、休憩時間を含め、子供の足
 を考えると、当然そうなる。雷雨がくればどうするつもりなのだろう。
その2
  針ノ木小屋テント場で、私と同じ冷池小屋テント場から出発し、夕方遅く着いてから、夕食を作り、ビー
 ルで乾杯していた中高年のグループに対し、高校教諭と名乗る人が、「楽しまれるのはいい、周囲の人
 の迷惑を考えてほしい。」、それに、「中高年の場合、コースタイム5〜7時間で計画すべきなのに、計画
 自体が無謀である。この山域は、通常、午後になると雷雨があるので、遭難となれば関係者に迷惑をか
 けることになる。」と諭していた。
その3 
  燕山荘からの下りで、高齢者が登山道で寝ていたので、「どうしたのか。」と尋ねたところ、「転んで膝
 を打った。」と言う。仕方がないので、リックだけ担いで下り、登山口に置いておいた。

 南アルプス全山縦走の時も感じたことだが、アルプスの稜線を、午後の雷の時間帯に中高年者が平気で
歩いている。山小屋が整備され、そこに駆け込めば、濡れた衣服は乾かしてもらえるし、温かい食事もある
という感覚なのだろう。
 「お前も高齢者だ。」という声が聞こえてきそうなので、トレーニングだけは十分にし、迷惑をかけないよう
にしたい。
 それにしても、山が好きでこの道に入ったという、さわやかな笑顔の県警山岳救助隊員の方々の、ご苦
労は、今後とも絶えないことだろう。