大峰奥駆道を歩く
2006年5月14日〜5月20日

 2006年の5月に、大峰奥駆道の吉野山から熊野本宮への逆峯(ぎゃくぶ)を歩いた。はじめの2日間は晴れて
いたが、弥山の登りで、白いものが降ってきて、雪かなと思っているうちに霧雨になり、その後の4日間は雨の中
をカッパを着て、奥駆道を駆けるのではなく、ベチャベチャと歩く結果になってしまった。

 世界遺産なので、もう少し多くの行者とか登山者に出会うのかなと思っていたが、平日ということもあり天候も悪
かったためか、1日あたり1人(グループ)に出会った程度であった。ベテランの登山者によると、この山域では、平
日は、ほとんど人に出会わないが、5月の連休には、私も泊った二蔵小屋に十数人が泊っていたと話していた。
 また、奥駆道を歩くには、秋より春の方が日が長く天気も良いとも言っていた。

 コース全体は、立派な石標が立てられていて、迷うことはほとんどないが、現在地等を確認するために地図は
必要である。
 コースの中では、大普賢岳から七曜岳、孔雀岳から釈迦ヶ岳、及び、笠捨山の南にある地蔵岳(地蔵岳は2箇
所ある。)が、岩場などがあり登るのにおもしろい。岩場は、岩、木の根、鎖などホールドがしっかりしているので、
特に危ないということはない。とは言え、入山した日に釈迦ヶ岳で滑落による遺体収容があったと聞いた。

 弥山までは、ブナなどの広葉樹林で新緑が美しい。八経ヶ岳から先は、標高が高いのでコメツガやトウヒなどの
針葉樹林が主体である。玉置神社から南は、杉檜の人工林で暗くて単調だ。例年であるとこの時期、石楠花岳
以南でシャクナゲが美しいと聞いていたが、不咲の年か余り咲いていなかった。
 眺めについては、ガスっていて不明。

 地図を見ていると○○宿(しゅく)跡とあるので、昔はずいぶんと山中に宿屋(やどや)があったのだなと思ってい
たが、これは、奇岩、巨木、滝など神仏が宿る所として、修験の行場あるいは勤行の場所のことであり、たまたま
その箇所に小屋が建ち、○○ノ宿小屋などとなっていたため早合点したことによる。
 ○○宿とあるところは、今でも勤行の場所として整備されているが、△△宿跡とあるところは、草木が茂ってい
るだけである。また、○○茶屋となっているところは、シーズン中は飲み物や土産などを売っているが、△△茶屋
跡となっているところは、昔の茶屋跡で何もない。
 宿泊とか食事を出す山小屋は、大峰山寺山上宿坊と弥山小屋があり、他の小屋はほとんどが無人無料である。

第1日目
 吉野山12:40→四寸岩山16:25→二蔵小屋17:33

大峰山寺蔵王堂で山行の安全を祈願する。

道中にあった、古く文武天皇が祈雨されたという吉野水
分(みくまり)神社にも立ち寄る。
そのためではなかろうが、6日間の行程のうち4日間
は雨降りだった。

きれいな二蔵小屋。ただし、夜は鼠が出るので、食
糧は仕舞っておくこと。

第2日目
 二蔵小屋4:48→山上ヶ岳8:47→大普賢岳11:54→行者還小屋15:01
五番関の女人結界門
陀羅助(だらすけ)茶屋。背後の山は山上ヶ岳。

立派な大峰山寺山上宿坊。

山上ヶ岳から大普賢岳(中央)を眺める。

大普賢岳(左)を振り返る。

行者還(ぎょうじゃがえり)岳から八経ヶ岳と弥山(み
せん)を眺める。左遠方に見えるのは仏生岳、釈迦ヶ
岳あたりだろうか。

鼠の居なかった新しい行者還小屋。

第3日目 八経ヶ岳
 行者還小屋4:25→八経ヶ岳8:11→釈迦岳13:35→深仙小屋14:30

行者還トンネルからの登山道との合流点

聖宝八丁(しょうぼうはっちょう)の登りから大普賢岳
を振り返る。

弥山から八経ヶ(はっきょうが)岳を見る。

八経ヶ岳山頂に着いた。展望なし。

八経ヶ岳から釈迦ヶ岳を眺める。

小雨降る釈迦ヶ岳山頂。
この後、4日間は雨になり、眺望はない。

深仙(じんぜん)小屋。大峰奥駆道を何度も歩いたと
いうベテランの登山者と同宿した。

第4日目
 深仙小屋4:49→平治ノ宿小屋10:57→行仙宿山小屋14:05

太古ノ辻(たいこのつじ)。大峰奥駆道は、吉野から登
りここから前鬼へ下る人が多いと聞く。

地蔵岳は2箇所あるが、深仙小屋に近い方の地蔵岳
山頂。

平治ノ宿小屋。雨が降っていたので小屋で一休みし
た。

転法輪(てんぽうりん)岳山頂。このように立派な石
標が要所に立てられている。

行仙宿山小屋。ここでも熊野本宮まで行くという登山
者と同宿する。
大峰奥駆道には、行者や登山者のために、このよう
な山小屋が要所要所に建てられており、地元の方々
の熱意により維持管理されている。

第5日目
 行仙ノ宿山小屋6:31→地蔵岳8:51→玉置神社社務所13:40

朝起きると雨足が強い。しばらく待機し、小降りに
なったので、6時半に出発する。
雨の中を登っていき、笠捨山山頂に着いた。

笠捨山を過ぎ、急な岩場を登り切った地蔵岳の頂上
付近に咲いていたツツジを見て、一息つけた。

途中で「ハァーイ元気。」と声をかけてきた若いカナダ
人が、ヤバかったと言っていた地蔵岳山頂に着いた。
この後、熊野本宮まで危ない箇所はない。

登山道脇に付いていた、熊の新しそうな爪痕。

南北朝時代の碑がある花折れ塚

玉置山山頂。ここを下ると杉の巨木に囲まれた玉置
神社がある。

玉置神社社務所の明かりのついている所に泊めて
いただいた。行者のほか、事前予約している大峰奥
駆道縦走者のみ泊られる。
文化遺産に囲まれた信仰の場であり、貴重な体験が
できた。入山すると携帯電話はほとんど入らないので
、予約した日に着けるようすること。

第6日目
 玉置神社6:35→熊野本宮14:10→熊野古道の大日越え→湯ノ峰温泉15:30

第7日目 帰宅

大峰奥駆道逆峯の最終ピークである七越峰山頂。
ここに至るまでの、大黒天神岳から下った高圧線
鉄塔の下で、道がV字形に折り返す箇所があり、
樹木は伐採され草地になっていて、一番迷った所
である。
文化的に価値のある古くからの山道が、高圧線の
鉄塔を建てることにより、寸断されたような形になっ
ており、企業の社会的責任として、標識を立てるな
どの方策をとってほしかった。

林間から、白く光っている熊野川の向こうに、熊野本
宮大社の古い大鳥居が見えた。

小雨降るなか、やっと熊野本宮大社に着いた。
参拝者多し。

 古くからの修験道である大峰奥駆道を歩けば、何か感じることがあるのかなという思いはあったが、テントを背
負っての縦走は、卒業してから3年前に中央アルプスを縦走したぐらいなので、コースや行程のことばかり気に
かかり、あれこれ考える余裕もなく、雨の中を八経ヶ岳、大普賢岳、釈迦ヶ岳、地蔵岳と歩くだけであった。
 最終日に、早朝の雨にけぶる熊野奥宮玉置神社本堂の前で静かに手を合わせていると、来てよかったという
感じが、しみじみとした。
 「奥駆けには、雨の日の方が、日の照るよりもかえって好条件だという。」というようなことが岩波新書に書かれ
ていたが、少し分かったような気がした。
 熊野本宮へ無事の下山を謝し、熊野古道の大日越えをして、いにしえの人が身を清めたという湯ノ峰温泉に行
き、ビールで乾杯した。

日本百名山一覧表

日本アルプス等一覧表

南の阿弥陀ガ森にある女人結界門

          行         程  日本百名山
 第1日目  自宅 → 吉野山 → 二蔵小屋
 第2日目  二蔵小屋 → 山上ヶ岳 → 行者還小屋
 第3日目  行者還小屋 → 八経ヶ岳 → 深仙小屋  八経ヶ岳
 第4日目  深仙小屋 → 太古ノ辻 → 行仙宿山小屋
 第5日目  行仙宿山小屋 → 地蔵岳 → 玉置神社
 第6日目  玉置神社 → 熊野本宮 → 湯ノ峰温泉
 第7日目  湯ノ峰温泉 → 帰宅
歩いたルートは、赤線で表す。

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平19総使、第371号)」

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平19総使、第371号)」

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平19総使、第371号)」

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号平19総使、第371号)」

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。
(承認番号 平19総使、第371号)」

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地形画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平19総使、第371号)」

五番関の女人結界門

八経ヶ岳は、地形図の八剣山(仏経ヶ
岳)のことを指す。

日本百名山一覧表